最 新 情 報

Close-up

活 動 内 容

セミナー/講座のご案内

◆プロセスワーク研究会 新連続講座

◆プロセスワーク研究会主催セミナー

◆プロセスワーク研究会 連続講座

◆富士見ユキオ主催
 プロセスワーク入門講座

プロセスワークとは

臨床的プロセスワークとは

うしろ向きに馬に乗る

現代シャーマニズムとしての
  プロセスワーク

仏教とプロセスワーク

トレーニングにあたって

プロセスワークとは

 

仏教とプロセスワーク

 

1)はじめに

2008年に開催されたロンドンでのワールドワークの約1年前から、ミンデルは「プロセスとは関係性である」と言うようになりました。

 

これは、空=相互依存や無常を柱とする大乗仏教を彷彿とさせます。

 

この項では、仏教との関係でプロセスワークについて考えていきます。仏教的に考えるとは従来のプロセスワークの枠を押し広げ、ワールドワークを射程に入れることを意味します。以下、プロセスワークとワールドワークとの両方に思いを巡らしながら読んでいただければ幸いです。

 

(2)空=関係性

仏教の「空」は、あなたや私、いや(あなたや私に限らず)世界のあらゆるものには実体がない、固定された存在ではない、それ単独で成立する存在ではないと考えます。

 

こうしたことを仏教では「自性がない/無自性」と言います。

自分には自分だけで自分を成り立たせる根拠がないところから、自分は無根拠であると考えてもいいかと思います。

 

この無根拠性は自分だけでなく、あなたも世界のあらゆるものも同様です。

 

例えば20代前半の男性がいるとしましょう。

 

彼は独立した成人男性ですが、親からすればまだまだ子ども。

 

一方、ガールフレンドにとっての彼はチャーミングな恋人、また彼女の父親からすれば将来の娘の夫(義理の息子、大切な存在/けれども娘を奪う憎き存在、笑い)、会社では将来有望な新人と期待されています。

 

つまり、関係のあり方によって、20代前半の男性は「子ども」「チャーミングな恋人」「義理の息子」「有望な新人」に変わるのです。

 

また、「20代」は「10代や30代といった違う世代」との、「20代前半」は「20代後半」との、「男性」は「女性」との、比較、差異、つまり関係の中で成立しています。

 

関係性のないところで(関係性を考慮せずに)、「男」「20代前半」「子ども」「義理の息子」などは成立しません。
つまり、「男」「20代」義理の息子」とは、単独で存在できる確固とした実体ではないのです。

 

あなた(「あなた」という存在も「私とあなた」という比較/関係の中で浮上する概念です。「私」も同じです。
「私」が成り立つには「私以外の他者」の存在や関係が必要です。あなたも私も自分自身だけで、単独に存在できる実体ではなかったのです)は、「固定」的に存在しているのではなく、関係の中でいろいろな形に(20代前半の男性、義理の息子、愛しい恋人、などに)流動する/変化するプロセス的存在なのです。

 

こうした考え方、捉え方は大乗仏教の大哲学者「龍樹(りゅうじゅ)/ナーガルジューナ」によって見出されました。

 

あなたは、そして私は世界の中心ではなく、関係性の中で顕現する相対的な存在だったのです(これを聞いてがっかりする人もいれば、過剰な自己中心性/自己愛性から解放される感じを抱く方もいらっしゃるでしょう)。

 

空の概念を採用すると私たちは流れ=プロセス=無常=変化となります。その流れの「ある関係性における、ある時点における現れ」「関係の中での相対的存在」が、「20代前半の男性」であり「義理の息子」であり「有望な新人」であり、さらには「あなた」や「私」なのです。

 

プロセスワークは流れやプロセスを、時に「電車の動き」に喩えますが、「20代前半」「男性」「義理の息子」などは、電車が止まる「駅」(=アイデンティティ)です。

 

私たちは出発駅や目的駅を気にする一方で、電車の動きにはそれほど意識を向けません。「駅」は固定していていますが、プロセスワークからすると、動きにおけるある時点での相対的な/一時的な状態です。

 

プロセスワークは「アイデンティティ」とは究極的には動的であり、関係依存的であり、相対的であると考えます。

 

ところで日本語はそうした関係性や相対性を呼応しています。例えば英語で「私」は、親に対しても、上司に対しても、恋人に対しても、ガールフレンドの父親に対しても"I"(「アイ」)です。
一方、日本語では上司やガールフレンドの父親に対しては「私」、恋人には「ぼく」へと動き、変化します。

 

私がアメリカに留学初期に友人が親に"you"、子どもが大人に "you"と言っているのを聞いて驚き違和感を抱いたのを覚えています。

 

日本語に翻訳すれば「あなた」ですが、日本人が親を「あなた」と呼ばわりしたり、子どもが大人に「あなた」と言ったりするでしょうか?

 

ある特別な意図を持っていたり、例外的な関係である場合以外はそう言いません。

 

それは日本語では"I"や"you"が関係的、流動的、相対的に捉えられているからではないでしょうか?

 

それに対して、英語では、関係やコンテキストに関係なく
"I"は"I"、"you"は"youなのです。"I"や"you"は、関係やコンテキストを超えているのです。脱関係的です。

 

だから、欧米文化では"I"や"you"はそれ自身で存在できる(自性)、固定されている、確固とした実体と、アトミズム的に捉えられているのでしょうか?

 

(3)相互依存を中心にした見方

仏教で言う関係とは「相互依存」をベースにしています。

 

これに対して「共依存」は「他者依存」になります。

 

仏教で言う「相互依存」と「共依存」とを混同しないように 注意して下さい。

 

ところで関係や相互依存を中心としている仏教は「自己中心性 」や「自己愛障害性」、「強い我執」を「自己依存」と呼びます。

 

仏教的には過剰な自己中心性は自己への耽溺、執着、自己への依存と捉えるのです。

 

プロセスワーク的に言うと「自己依存(自己中心)」と「他者依存(共依存)」とは表裏一体と考えます。

 

ですから、「自分一人で頑張り過ぎると共依存や各種のアディクション(依存症/嗜癖)に陥る危険があり」「共依存からの回復には自立や個人の意志の強さだけでは十分ではない」となるのです。

 

自己依存や共依存からの回復には「相互依存」が大事になります。

 

これは、薬物やアルコールへの依存症から回復することを試みているコミュニティの「ダルク」や「AA」が大事にしている観点と重なると思います。

 

プロセスワークのコミュニティ・ワークのワールドワークも同じ視座をベースにワークを試みています。

 

(4)関係的我、流動的我の肯定

臨床的プロセスワーク/ワールドワークは、大乗仏教が「自性」「実体視した自我」「独我」「固定的自我」「強い我執=過剰な自己愛」を否定している一方で、自我のあり方全般に対してそうしているわけではなく、「関係的自我」、「相対的自我」、「流動的自我」を肯定していると捉えています。

 

自我の全てを岸田秀さんのように幻想と一掃してしまう(禅宗にも我を全て否定するところがあります)のではなく、どうやってそれを関係的に、相対的に、流動的に把握し直すかが重要だと考えます。

 

また、そうした「古くから伝わる、しかし新しい自我」作りも大切です。

 

 
※ご参加に際しては、『トレーニングにあたって』を一度ご覧ください。

 

ページトップに戻る